ユニパワー UNIPOWER


ユニパワー UNIPOWER

ユニパワーGTは英国ミドルセックスにあるユニバーサル・パワー・ドライブ・リミテッド(林業トラクターを主な商売としていた)の管理下でアンドリュー ヘッジとティム パウエルにより生み出されました。



しかし、この車の製造期間はわずか4年間で、総生産数は75台にとどまりました。というのも、ユニパワーGTは普通の車としては売ることが法律上、できなかったからです。このため、キットカーとしてしか販売できず、購入者はエンジンを取り付ける為に1968年当時で1200ポンドものお金を払わなければならなかったのです。

しかし、それでもユニパワーGTは抜群の性能を誇っていました。角断面鋼管を組み合わせたフレームに独自の4輪独立式サスペンション。ボディは当初、アルミで製作されていましたが、軽量化の為にラミネートされたグラスファイバーに変更されました。
部品の製造メーカーも厳選し、ボディはスペシャライズド・モールディングスに、内装はウッド・アンド・ピケットに、フレームをアーチモータースに、という具合に、それぞれの分野で一流の業者に製造を依頼していました。
エンジンは998ccのミニクーパーSエンジン、あるいは1275ccのクーパーSエンジンが横置きに搭載され、置き場所をミニ独特の大きな荷物入れの前とすることでミッドシップとなりました。車体の重量は500kgを少し超える程度で、スタンダードのクーパーSより400kgも軽かったことを考えると、かなり速かったと考えられます。実際、後のバージョンでは0-60mphを8秒、最高速度は時速120マイルという記録が残されています。

1966年のアールズコート・レーシングカーショーでデビューしたユニパワーGTは、サイズの割りには高価であったにもかかわらず、予想を遥かに超える程の予約注文が殺到し、この超小型スポーツカーの船出は上手くいくように思われました。
しかし、あまりにも本格的な内容の為、生産の立ち上げに思わぬ時間がかかってしまい、実際に販売が開始されたのは、発表から1年以上もたった67年の事でした。
そのため、一刻も早く戦闘力の高いサーキット・ウェポンを欲していた顧客の多くが、マ-コスやオーグルに流れてしまい、販売面で苦戦を強いられます。
また、製造コストが当初の目論見より大幅に高く付いてしまったことから、68年いっぱいで生産中止となりました。
そして、その75台も、1978年にはレース等による破損等の為、その台数は半減することとなります。

今現在、ユニパワーは世界中のコレクターによって集められている為、英国本国にはほとんど残っていないようです。日本には数台あるようですが、下の写真のユニパワーはそのうちの一台でマーズ・スピード・ジャパンのショールームに展示されています。お近くにいらした際には、是非見にいらしてください。

ユニパワーGTは英国ミドルセックスにあるユニバーサル・パワー・ドライブ・リミテッド(林業トラクターを主な商売としていた)の管理下でアンドリュー ヘッジとティム パウエルにより生み出されました。

しかし、この車の製造期間はわずか4年間で、総生産数は75台にとどまりました。
というのも、ユニパワーGTは普通の車としては売ることが法律上、できなかったからです。
このため、キットカーとしてしか販売できず、購入者はエンジンを取り付ける為に1968年当時で1200ポンドものお金を払わなければならなかったのです。

しかし、それでもユニパワーGTは抜群の性能を誇っていました。角断面鋼管を組み合わせたフレームに独自の4輪独立式サスペンション。
ボディは当初、アルミで製作されていましたが、軽量化の為にラミネートされたグラスファイバーに変更されました。
部品の製造メーカーも厳選し、ボディはスペシャライズド・モールディングスに、内装はウッド・アンド・ピケットに、フレームをアーチモータースに、という具合に、それぞれの分野で一流の業者に製造を依頼していました。
エンジンは998ccのミニクーパーSエンジン、あるいは1275ccのクーパーSエンジンが横置きに搭載され、置き場所をミニ独特の大きな荷物入れの前とすることでミッドシップとなりました。車体の重量は500kgを少し超える程度で、スタンダードのクーパーSより400kgも軽かったことを考えると、かなり速かったと考えられます。実際、後のバージョンでは0-60mphを8秒、最高速度は時速120マイルという記録が残されています。

1966年のアールズコート・レーシングカーショーでデビューしたユニパワーGTは、サイズの割りには高価であったにもかかわらず、予想を遥かに超える程の予約注文が殺到し、この超小型スポーツカーの船出は上手くいくように思われました。
しかし、あまりにも本格的な内容の為、生産の立ち上げに思わぬ時間がかかってしまい、実際に販売が開始されたのは、発表から1年以上もたった67年の事でした。
そのため、一刻も早く戦闘力の高いサーキット・ウェポンを欲していた顧客の多くが、マ-コスやオーグルに流れてしまい、販売面で苦戦を強いられます。
また、製造コストが当初の目論見より大幅に高く付いてしまったことから、68年いっぱいで生産中止となりました。
そして、その75台も、1978年にはレース等による破損等の為、その台数は半減することとなります。

今現在、ユニパワーは世界中のコレクターによって集められている為、英国本国にはほとんど残っていないようです。
日本には数台あるようですが、下の写真のユニパワーはそのうちの一台でマーズ・スピード・ジャパンのショールームに展示されています。
お近くにいらした際には、是非見にいらしてください。