ミニが誕生するまで
1959年の誕生から2001年のあの「モデル・チェンジ」までの約40年もの間、ミニはその基本設計を変えていませんでした。
この信じられないような設計を行ったのが天才エンジニア、サー アレック・イシゴニスです。
(この写真は、1971年に開かれたイシゴニスの引退記念パーティーの際に撮られたものです。彼が腕をかけているのが最初のタイプのミニで、一番左に写っている車がモーリス・マイナーです。ちなみに、彼の名前にはSirが付きますが、貴族の生まれではありません。ミニの設計の功によりナイトの称号を与えられたのです。ちなみに彼の生まれはと言えば、ギリシアです。)
第二次大戦が始まる前、1936年にイシゴニスは レナード・ロード率いるモーリス・モータースに入社します。
そこで彼は「Lightweight Special」というレーシング・カーを製作しました。
この車のサスペンションは、全輪が独立したラバー・サスペンションで、ミニの胎動を感じさせるものでした。また彼が設計し、1948年に発売されたモーリス・マイナーは英国自動車史上初めて発売台数が100万台を突破したベスト・セラーになります。
彼の設計思想である”making the most of the least”、つまり、「最小限を最大限利用する」は、ここでも活かされ、そしてミニへと結実します。
1959年の誕生から2001年のあの「モデル・チェンジ」までの約40年もの間、ミニはその基本設計を変えていませんでした。
この信じられないような設計を行ったのが天才エンジニア、サー アレック・イシゴニスです。
(この写真は、1971年に開かれたイシゴニスの引退記念パーティーの際に撮られたものです。
彼が腕をかけているのが最初のタイプのミニで、一番左に写っている車がモーリス・マイナーです。
ちなみに、彼の名前にはSirが付きますが、貴族の生まれではありません。
ミニの設計の功によりナイトの称号を与えられたのです。ちなみに彼の生まれはと言えば、ギリシアです。)
第二次大戦が始まる前、1936年にイシゴニスは レナード・ロード率いるモーリス・モータースに入社します。
そこで彼は「Lightweight Special」というレーシング・カーを製作しました。
この車のサスペンションは、全輪が独立したラバー・サスペンションで、ミニの胎動を感じさせるものでした。また彼が設計し、1948年に発売されたモーリス・マイナーは英国自動車史上初めて発売台数が100万台を突破したベスト・セラーになります。
彼の設計思想である”making the most of the least”、つまり、「最小限を最大限利用する」は、ここでも活かされ、そしてミニへと結実します。