3.マーズ・スピード・ジャパン


マーズ・スピード・ジャパン

 
 
 

マーズ・スピード・ジャパンの生い立ち – その3

 英国マーズスピード
 英国マーズスピード
マーズ・スピード・ジャパンの生い立ち – その3


一方、同じ1988年、ローバーはERA(English、Racing、Automobile)という会社との共同開発で“ERAターボミニ”を発売するわけだが、色々縁があって、ERA社の社長と懇意になり、そのERA社と共同でミニのツインカムエンジンを開発することになった。そして、そのERAグループの中の1社“ジャックナイト ディベロップメント”も加わることになり、5スピードギアボックスの開発も始め、遂に“ジャックナイト、ツインカム“、が、完成したのである。その後、ERAグループは、ジャックナイト ディベロップメントを切り離し、マーズスピードとジャックナイト ディベロップメントとが経営及び業務提携を結ぶことになったのである。
ジャックナイト ディベロップメントとは、1940年代創立の、主にフォーミュラワン等、レーシング関係のパーツをデザイン・製作する英国の老舗であり、ほとんどのF1チームと取引関係があったため、その根拠地がある英国南部のサリー州のワーキングに拠点を置いていた。ちなみに、ジャガーXJ220のステアリングがジャックナイト製である。


そして、あるとき、ローバー社のスモールカー部門の社長から、ミニの35周記念として限定35台の特別なミニを発売計画しているので協力してほしい、という話を持ちかけられたのだ。連日、ローバーの本社があるバーミンガムからミニバスで、ローバーの技術者たちがウィンチェスターにあるマーズスピード社まで訪れ、色々な打ち合わせ等が行われた。プロートタイプが完成し3ヶ月間テストドライブされ、遂に5台のプロートタイプ ツインカム ミニが、ローバーに収められた。そして、いざ、限定台数のミニの生産開始が始まろうとした直前、突然、ローバーが、BMWに買収されることが決定したのである。
勿論、計画は白紙に戻されてしまった。僕たちのショックは、言い表せるようなものではなかった。この絶望から立ち直るのにどのくらいかかったことだろう。
まあ、良い経験だったのかなと思い始めた矢先、今度は、全く意外な人物から依頼があった。努力すれば報われる、とはよく言ったものでまさしく、チャンスが訪れたのだ。
なんと依頼主とは、ドイツBMW社の社長だった。


新車(旧型ミニ1台)の提供と予算5万ポンドで、特別仕様のミニを作ってくれというものだったのである。ペイントも、依頼者からの特別注文色で持込であった。5万ポンドといえば1千万円位で、かなりの予算ではある。しかし、実際のコストは、それを上回るものだった。しかしながら、意地というものがあったし、しかも偉大な人物からの依頼、そして、何よりもあのローバーとの共同開発であった35周年ミニの生産直前での破談により夢となってしまったプロジェクトの後のこともあって、引き受けることに決めた。是非、やり遂げたいプロジェクトでもあったのだ。

この車は、“MINI HOT ROD”(ミニ ホット ロッド)と名付けられ、完成後、ガラス張りのショーケースの中に収められ、ドイツでのフランクフルトショー、英国でのアールスコートショー等、世界方々のモーターショーで特別展示車として、展示場の真ん中に展示された。また、この車は、BBC2の人気テレビ番組“TOP、GEAR”で、放映され雑誌“トップ、ギア”でも取り上げられた。


その後、どうやって我がマーズスピード社のことを調べたのか(というのも、このプロジェクトに関しては、ジャックナイトの社名を全面的に公表し、マーズスピード社の社名は伏せていたので)、スコットランドの大富豪等、数名からの注文があった。しかしながら、この、MINI HOT RODは完全な手作りの車であったため、新車、ペイント等持込であったとしても、5万ポンドの予算の中におさまりきるものではなかった。赤字を出してまでオーダーを受けることはできなかったし、かといって、量生産をして、コストを下げてまで売れるようなタイプの車でもなかったため、結局、この1台限りで終わることになった。1997年のことであった。


その一方で、ジャックナイト ディベロップメント社内では、取締役陣の使い込み等による不正が行われていた。見る見るうちに業績は悪化し、遂には倒産寸前の危機にまで陥った。そこでマーズスピード社は、すぐにジャックナイト社との資本、経営及び業務提携を解消し、無事、共倒れを避けることができた。結局ジャックナイト社は、ある悪徳なウェールズ人に詐欺のような形で乗っ取られてしまったのだが、その前に、マーズスピード社では、ジャックナイト社の優秀な図面、設計技師等を確保することによって、新たなレーシングパーツの会社を立ち上げることに成功した。英国に本拠地を置いて、もうすぐで早20年近くになる今、もう1度、日本でも活動してみたいという希望と期待で、縁があって、関西空港から20kmほどのところに位置する和歌山県岩出市で、日本マーズスピード社の社屋を完成することができた。これが日本マーズスピードができたいきさつである。