2.英国マーズ・スピード


英国マーズ・スピード

マーズ・スピード・ジャパンの生い立ち – その2

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マーズ・スピード・ジャパンの生い立ち – その2


その後の生活は、それまでのことに比べると平穏無事、順調な生活であったが、つくづく、日本にいた時にもっと英語を勉強しておけばよかったと痛感した。今思えば、笑い話であるが、語学学校に入ってからのクラス分けのテストが英語で出されるとは夢にも思っていなかったからである。ある日、英国人の女性に一目ぼれされたらしいが、その事は決して楽しいものでもうれしい話でもなく、ただおびえるものであった。というのも、僕が英語がわからないのを知っているにもかかわらず、毎日が電話攻めであったのだ。そこで、ホームステイ先のおばさんが、中に入り僕に説明してくれるわけだが、僕は“イエス”という言葉しか言えず、当然、会っていても彼女からの一方通行で、仕舞いにはノイローゼにかかってしまった。


当初は、3ヶ月ほど英国で英語も学んだ後、渡米する予定だったが、それほど英語が上達したわけでもなく、目的が達成されることなく、ずるずると英国生活が続いた。資金も底をついてきたため、自分で稼いで生活して行く方法がなかったのだが、自分で何ができるかといえば、小さい頃から見よう見まねで手伝っていた父親の経営する自動車整備工場でのメカニックとしての仕事だった。しばらくはその仕事で食い繋いでいたのだが、英国ではその当時、人種、階級差別がひどく、どんなにまじめに働いていても、嫌がられるだけだった。元々、車が好きだったため、だんだん英国車にも興味が湧くようになり、日本に持って帰ることを考え始めた。3台の英国車を購入し、日本に輸出したが、当時の日本は、外貨の持ち出しが自由化されておらず、車が日本の港に到着したものの通関する事ができなかった。色々な策略を考えた結果、3台とも各々、別々の港で税関を通ることにより通関することが可能なことがわかり、無事、引き取ることができた。これが、輸入を始める最初のきっかけとなったのである。


当時、個人輸入というのは非常に珍しく、ほとんど市場を独占することができたので、面白いくらい儲かった。その後、外国為替が自由化され、英国から日本の色々な中古車業界に、輸出しだした。多分、年間200台くらいは、輸出していたかと思う。その内訳は、1973年生産以前の中古のミニが圧倒的に多かった。というのも、日本では、1973年以降の車に関してはガス規制(10モード)が、始まったからである。ミニが日本で人気があるということが輸出をしていてわかったので、早速そこに目をつけ、自動車民間車検工場を経営する父親の協力も得て、本格的にミニ及びその部品、アクセサリー等の商売を始めることになった。そして1980年後半、日本はミニのブームで、大量の注文があった(後でわかったことだがバブル期だったらしい)。それにも拘らず、英国での生産というものは完全な手作業で、年間数台しか出来上がらなかった。そのため、注文者からの応対に追われ、ついには自分たちでこの問題を打開しなければならないと考えた。これが1988年、英国マーズスピードを英国南部に位置するウィンチェスターという町で立ち上げたわけである。