オースチン ヒーレー スプライト Mk-1


オースチン ヒーレー スプライト Mk-1


Austin-Healey Sprite

1950年代までは、スポーツカーと言えば大排気量のモデルしかありませんでした。それに対して、BMC(ブリティッシュ・モーター・カンパニー)はDonald Healey氏にAustin-Healyをベースにした2人乗り用小型スポーツカーを依頼しました。そこで登場したのがSprite系です。このSprite系は大ヒットし、1979年の生産終了までに合計356,000台が生産されました。その中でも、このオースチン ヒーレー スプライトMk-1は”Frog Eye”の通称で知られており、3年間で48,987台が生産されました。なお、その後はスタイルが変更されたMk-2、そしてMGミジェットへとモデル・チェンジが進みました。

この成功の要因には、スポーツ・カーとしての完成度の高さの他に、外観の面白さ、それに作り手・売り手側にもメリットがあったことにあるようです。まず、エンジンパーツ、トランスミッションパーツ、サスペンションパーツなど多くの部品が既存のBMC車(MG Tシリーズ ミジェット、MGA,オースティン・ヒーレー100シリーズ)からの流用でした。確かに、車の構造自体はモノコックで、しかも、後車軸は板ばねで取り付けられているなど斬新でユニークなものでした。また、ボンネットとフェンダー・アッセンブリーが一体化されたフロントエンドは、パッセンジャーのバルクヘッド(隔壁)部分でヒンジで止められており、それを開ける事によってエンジンベイとフロント・サスペンションへとアクセスできるようになっています。このような特徴的な作りになっていたにもかかわらず、新しい専用部品を使わなくても良い点は、世界中のディーラーにとって大きなメリットになりました。

次に独特の外観ですが、どうやら最初から意図したデザインではなかったようです。プロトタイプの段階では、ヘッドランプはホールド・バック式で、滑らかなラインが保たれた設計だったのですが、コストダウンが徹底的に図られ、最終的にはボンネット・パネルの上部にヘッドランプを付けた独特なスタイルとなりました。この変更により空力的には不利になったと言わざるを得ませんが、特徴的なスタイルになり、結果的には”Frog Eye(かえるの目)” (米国では”Bug Eye”(虫の目)’という愛称で親しまれるようになりました。

しかし、最終的にはスポーツ・カーとしての性能の高さが決め手になりました。優れたパフォーマンスと鋭いハンドリングは市場で評判になり、ブリティッシュ・スポーツ・カーとして人気を博したのです。

オースチン ヒーレー スプライト Mk-1
生産年:1958-1961
構造: フロントエンジン/リア駆動、モノコック・ボディ/シャーシ
エンジン:4気筒、オーバーヘッド・バルブ
ボア・ストローク: 62.94 x 76.2 mm
排気量: 948 cc
出力: 43 bhp @ 5,200 rpm
気化器:水平SUキャブレタ×2
サスペンション:独立(フロント)、ビーム・アクセル(リア)
重量: 1,328 ポンド(598kg)
最高速度:87 mph(139 km/hr)