1.英国へ


1988年 英国南部の街 Winchester(ウィンチェスター)で
英国法人Mar’s Speed Co,Ltd.(マーズスピード カンパニー
リミテッド)を起業し2006年に日本で日本法人マーズ
スピードを設立するまでのお話です。
興味を持っていただけたら幸いです。

マーズ・スピード・ジャパンの生い立ち – その1

英国マーズスピードについてのことを書くにあたって まず僕自身のことを書いてみようと思う。

 英国マーズスピード
マーズ・スピード・ジャパンの生い立ち – その1

英国マーズスピードについてのことを書くにあたって、まず僕自身のことを書いてみようと思う。

まず、英国という国と始めて関わったのは、1975年、20歳を過ぎてすぐのことだった。その頃、僕はただ単純に飛行機のエンジニアになりたかった。実際、僕の頭の中の図式は、飛行機のエンジニアになるためには、アメリカに行かなければならない、つまり英語を話さなければならない、そのためには英国に行く必要があると考えたのだ(今思えば、何故そう考えたかは疑問だけど)。取り敢えず、英語を学んでから、アメリカに専門分野を勉強しに行ったほうが言いと旅行会社からの勧めがあって英国に渡ったことを覚えている。


その当時は、航空券というものは非常に高価で、また直行便というものもなく、仕方なく比較的安価なフランス行き南回り便(所要時間36時間)を利用し、そこから英国へ渡ることにした。旅行会社の話によれば、飛行機に乗ってしまえばいくらでも英国へ行く人がいて、何も心配することはないと言われ、その言葉をそのまま信じて、何の予備知識もないまま飛行機に飛び乗った。乗った後、いよいよフランスに到着する数時間前、そろそろ英国へ行く日本人を捜し始めなければと思い、色々な人に声をかけたところ、年回りも似たような北海道出身の男性と知り合い意気投合した。彼は、別に特別な目的もなく、予定もない気ままな旅だったので、それでは一緒に英国に行こうと話がまとまり、其の後は、彼以外の人とは知り合いになる必要もなく、安心したままフランスに到着した。僕たちは、日本円を外貨に換金するため、空港内の銀行に向かったのだが、思いがけない事が起こってしまった。彼も予想していなかった彼の友人が、彼を空港まで迎えに来ていたのである。彼はとても気まずそうだったが僕は、どうって事はないそぶりで、“どうやったらパリ市内に行けるの?”と尋ねた。そうしたところ、“そこからバスに乗れば、行けるよ”と彼の友人に教えられて、“じゃあ、いつかまたどこかで会えればね”と僕は強がって言った。彼は、“一緒に行けなくてごめんね”と去っていった。


僕は、途方に暮れた。仕方なく、空港を出て、言われた通りにバスに乗り込み、パリ市内へと向かった。バスに乗り込んだものの、どこで降りるかもわからないまま、終点まで来てしまい、バスの運転手に、荷物を降ろされ、何を言われているかもわからずに、指を指された方角を見ると、地下鉄の乗り場だった。わけもわからないまま、地下鉄に乗り込み、人ごみの歩く方向へただ付いて行くしかなかった。重いトランクケースを引きずったまま、自分がいる場所もわからないまま、5時間くらい彷徨い歩き続けた。荷物がとても重く捨ててしまいたいくらいの気分だった。取り敢えず泊まる所を捜そうとしたのだが、どこが宿屋なのかもちんぷんかんぷんだった。朝一番に飛行機が着いたのだが、もう日が暮れる時間にまでなっており、とうとう、トランクケースの上に座り込んでしまった。今から思うと、僕が宿を探そうと困っていたのがわかったらしいのか、全然知らないフランス人らしき人物が、突然僕の荷物を持ち、歩き出し、路地に入っていった。安い宿屋に連れて行ってくれたのである。宿にたどり着けると、自分がどこにいるかもわからなかったので、出かけるのも恐ろしく、宿の前にある店でパンとハムを買う以外は、一週間こもりきりの生活をした。そのうち、いつまでもこういう生活を続けるわけにはいかないと、思い切って宿のおばさんに、ロンドンへの行き方を聞いた。しかしフランス語がわからないため、5ヶ国語の辞書を見せながら尋ねたところ地図を描いてくれて、取り敢えず何とかノード駅までたどり着いた。ロンドン行きの切符を手に入れ、電車に乗り込み、皆が降りるところで僕も降り、付いて行くと、皆、船に乗り変えるので、僕もそれに従い、英国に着いた。そうすると、人々は、また電車に乗り換えたわけだが、其のとき初めて、英国に入国するには、ビザが必要であることがわかった。そしてそのビザは船内で取らなければならなかったことを知ったのだが、すでに事遅く、僕以外の人たちは、スムーズに税関を通り過ぎていくのに、僕だけ離れた場所へ連れて行かれた。何を聞かれているかもさっぱりわからずに、ロンドン行きの電車が出発する直前まで拘束されたが、最後には取り敢えず電車に乗ることができ、やっとのことでロンドンにたどり着いたのである。その頃には、やけくそな気分も手伝って、もう何も怖いものはなくなっていた。


今から考えると、そこはビクトリア駅だったようだ。英国でも、フランスと同様、トランクケースを持ち、途方に暮れたままアールス コートまで歩き続けた。そこで安い宿を見つけ、そこで泊まり、その後はパディントン駅から、留学先のバースまで電車で向かった。バースに着いて、そこからタクシーでホームステイ先の家まで行こうとしたのだが、2時間待ってもタクシーは見当たらない。僕は、黒塗りのいわゆるロンドンタクシーが英国のタクシーだと頭から信じていたため、そういうタクシーだけを捜していたのだが地方都市のタクシーは、日本と同様、ルーフに、“TAXI”と看板があるタクシーであったのだ。2時間もうろうろしていたため、とうとう不思議に思われたのか、ある英国紳士が、僕に話しかけてきた。その頃には、なんとなく、何を聴かれているかわかるようになってきていたので、学校の斡旋してくれたホームステイ先の住所を見せると、何度も僕の目の前を通っていたのと同じタクシーを呼び止めて、行き先を行ってくれ、ようやく無事ホームステイ先に着いた。