ミニ マーク3時代(1)(1969~1979)
1969年の終わりからマーク3(850ccと1000cc)の時代に入ります。
外観や技術的な変更点ですが、まず、10月からはドアの一部が変更されます。
これにより、それまでドアに付けられていた大きなサイド・ポケットがなくなりました。
これは、サイドのウィンドウを開ける仕組みが、窓ガラスを前後にずらしてスライドさせる方式から
手回しのスライド式(レギュレーター)に変えられたためで、スペースが確保できなくなったためです。
また、外側のドアに付けられていたヒンジ(蝶番)もなくなりました。
見えない所では、ハイドロラスティック・サスペンションが、
再びドライ・ラバー・コーンに変更されました。
しかし、それよりも大きな変更が会社にありました。
そして、それによってミニのライン・アップも大きく変わっていくことになります。
この時代、英国を襲った不景気のため、各自動車メーカーは吸収合併を推し進め、BMCはレイランド・グループ、ローバーと合併し、BLMC(British Leyland Motor Corporation)を設立。それを機に、ブランドが整理されることになったのです。
まず、オースチンとモーリスのブランドがなくなり、BLブランドに統一されます。
それによりエンブレムも変更となります。
ライレーとウーズリー・ブランドも整理され、エルフ/ホーネットとともに姿を消します。
エルフとホーネットの総販売台数はそれぞれ30912台と28455台でした。
また、オースチン・ミニ・カントリーマンとモーリス・ミニ・トラベラー(998cc)は、
ミニ・クラブマン・エステートに一本化されます。
クーパー・シリーズも例外ではなく、ミニ・クーパー(998cc) は1969年に生産が中止され、
1275ccのクーパーSに絞られました。
ここまでの話を整理するため、マーク3時代当初のライン・アップを挙げると、
ミニ850、
ミニ1000 、
クーパーS、
ピックアップ(848ccと998cc)、
バン(848ccと998cc)、
ミニ・クラブマン、
クラブマン・エステートになります。
アレック・イシゴニス卿と彼の最も有名な創造品であるブリティッシュ・レイランド・ミニ
(”M”レジ なので1972年製のミニですね。アレック・イシゴニス卿は1971年に、BLMCを引退しているので それ以降に撮影したのでしょう。
1969年の終わりからマーク3(850ccと1000cc)の時代に入ります。
外観や技術的な変更点ですが、まず、10月からはドアの一部が変更されます。
これにより、それまでドアに付けられていた大きなサイド・ポケットがなくなりました。
これは、サイドのウィンドウを開ける仕組みが、窓ガラスを前後にずらしてスライドさせる方式から
手回しのスライド式(レギュレーター)に変えられたためで、スペースが確保できなくなったためです。
また、外側のドアに付けられていたヒンジ(蝶番)もなくなりました。
見えない所では、ハイドロラスティック・サスペンションが、
再びドライ・ラバー・コーンに変更されました。
しかし、それよりも大きな変更が会社にありました。
そして、それによってミニのライン・アップも大きく変わっていくことになります。
この時代、英国を襲った不景気のため、各自動車メーカーは吸収合併を推し進め、BMCはレイランド・グループ、ローバーと合併し、BLMC(British Leyland Motor Corporation)を設立。それを機に、ブランドが整理されることになったのです。
まず、オースチンとモーリスのブランドがなくなり、BLブランドに統一されます。
それによりエンブレムも変更となります。
ライレーとウーズリー・ブランドも整理され、エルフ/ホーネットとともに姿を消します。
エルフとホーネットの総販売台数はそれぞれ30912台と28455台でした。
また、オースチン・ミニ・カントリーマンとモーリス・ミニ・トラベラー(998cc)は、
ミニ・クラブマン・エステートに一本化されます。
クーパー・シリーズも例外ではなく、ミニ・クーパー(998cc) は1969年に生産が中止され、
1275ccのクーパーSに絞られました。
ここまでの話を整理するため、マーク3時代当初のライン・アップを挙げると、
ミニ850、
ミニ1000 、
クーパーS、
ピックアップ(848ccと998cc)、
バン(848ccと998cc)、
ミニ・クラブマン、
クラブマン・エステートになります。
アレック・イシゴニス卿と彼の最も有名な創造品であるブリティッシュ・レイランド・ミニ
(”M”レジ なので1972年製のミニですね。アレック・イシゴニス卿は1971年に、BLMCを引退しているので それ以降に撮影したのでしょう。